2013年11月18日月曜日

うそは悪いことです

うそは悪いことです。

うそつきは信用ならない。
うそは泥棒のはじまりだ。

そう育てられ、うそに痛みを感じるようになる。
でも、うそをつかずに生きている人がいるわけがない。

ではどうすればいいか?沈黙だ。

口を開けなければ、うそをつく必要がない。
沈黙は金というから、悪いイメージもない。

すぐうそをつくヤツと沈黙の男。

たとえば、釣りバカ日誌のハマちゃんと、ゴルゴ13を考えてみよう。
どちらが憎めなくて付き合いやすく、どちらが悪い奴だろう。

そんなことは明らかだ。ハマちゃんはうそをつくから圧倒的に悪い。

古い友達の坂上君は不倫しているが、奥さんには完全黙秘だ。うそを言わないように心がけているから、彼はとてもいい奴だ。こっちが弱みを握っているから、飯をおごってくれたりもする。

言うまでもないが、小説家、脚本家、映画監督、お笑い芸人、歌手、詐欺師、政治家などは悪い奴らの筆頭で、信用してはいけない。

書き忘れるところだった。ブログ書いてるやつも大抵はうそつき。



2013年10月27日日曜日

毎年4500人が交通事故で死んでいる

モンティ・ホール問題
平成24年中の交通事故死者数 などを見ると、だいたい年間4500人くらいの人が交通事故で死んでいる。別の統計だと、日本人はだいたい年間120万人くらい死んでるから、割り算すると0.4%くらいです。約半数の人はガンとか、心臓疾患、脳疾患で死んでるわけで、交通事故なんてたいした問題じゃないということがわかります。

さて、原発です。福島の原発事故で何人死んだでしょうか?この記事によると、「復興庁によると、東日本大震災の影響で体調を崩すなどして死亡した震災関連死者数は福島県内で764人(3月末現在)」(2012年5月10日付け毎日新聞がニュースソース)だそうです。実際に事故の放射線の影響で死んだ人なんてのはあまりいないにしても、関連するものとして大雑把に100人くらいいると推定してもいいでしょう。

だいたい、交通事故死の2%です。原発なんてたいしたことない。もし心配するなら、横断歩道や道路で交通事故に合わないように注意したほうがよっぽどいい。ということになる。もっといえば、がん検診受けましょうということだ。

次に大島。10月24日の報道だと、大島を襲った台風26号で死者は31人に上るそうです。まだ増える勢い。あの大規模な土砂崩れですから、とても心配です。でも、交通事故死と比べれば、たった0.7%です。台風の心配するよりも、車がぶつかってきたら逃げる特訓をしたほうがいいでしょう。

ことほど左様に、事象をある数値でとらえて比較するときには、その魔力に騙されて本質を見失うことがあります。ヒトは確率に対する心理学的な意味での誤謬傾向を持っているのです。数値で示された確率を正しく評価することができないし、質的な違いを見誤ることも多々ある。確率は人をだますためにあります。確率が重要なものをあげてみましょうか?

パチンコ、競馬、宝くじ、保険・共済、かみさんの機嫌、学者。ほらね、ろくでもない。

2013年9月20日金曜日

おきゃくさま4象限

仕事でいろいろな人と出会ったり、ネットだけで出会わなかったりする、という忙しい時期を乗り越えてきたわけですが、ほんとにいろんな人がいます。他人の話を遮るのが趣味の人、すぐ怒る人、理詰めでキツキツに攻めてきて妥協しない人、全然知らないくせに知ったかぶりして平気で反論する人、それに果敢に挑んで、でも結局泣かされて謝るオレ、などなど。

年をとってきますとね、他人(ひと)というのがなんだかわかったような気になってくるもんです。その人に激しく叱責されている時でも、それを上空で見ている「オレ」みたいな存在があるわけです。幽体離脱しているか、半分あっちの世界に行っているか、気もそぞろなのかどれかだとは思うんですがね。

そんな幽体離脱視点で見ていると、仕事では、4つのタイプを見分ければいいんじゃないかと思い付いたのです。単なる思い付きですけどね。

それを見分ける方法が、イケイケ-モジモジ座標系です。イケイケな人たちはだいたい自信満々で、声が大きくて、ガハガハ笑ってくよくよしないタイプ。社長さんやできる営業さんに多いです。対するモジモジくんは、自信がなくて声が小さくて、怒られたりするとすぐシュンとなって顔に出るタイプ。

で、これにその人の実力みたいなのを重ねるんです。モジモジだけどすごくできる人ってのもいるし、イケイケなのに全然わかってないアホボンもいる。そういう4象限で仕分けしちゃう。

できイケ系

実力もあるし、イケイケな性格。ベンチャー起業した社長さん的なタイプ。この手の人はだいたいお金持ちだし、仲良くするとすごく良いことがあるんですけれど、他人(ひと)の気持ちはわからない人が多い。しかも、私のような凡人はついて行くのが大変です。

でも、イケイケの人ってみんなが「できる人」ってわけじゃないってのが経験則かな。

だめイケ系

イケイケなのに本当は実力がない。そのことに気が付いている人はまだましだけど、自分がだめ系だってことに気が付いてない人はほんと厄介。一緒に仕事すると、分かってないのに文句ばっかり言うし、こういう人は早めに見切りたいのですが、あなたができる人だと放してくれないかも。

できモジ系

エンジニアなんかに多いね。あんまりできる人って雰囲気を出してないけど、「脱いだらしゅごいぜ」みたいな人ね。こういうのは、ちょっとカッコイイと思うけど、だいたいあんまり評価されてなくてお金持ちじゃないんだよね。ときどき「もじもじ」が悪さをして、「コミュニケーションができてない」って批判される。

だめモジ系

ごめんなさい。残念です。でも、こういう人に限ってすごくいい人なんだよなぁ。憎めない。友だちにするのに最高だし、一緒に仕事してうまくいかなくっても怒りは湧いてこない。

イケイケ-モジモジ座標系の図


これは、私の周りにいる頭に浮かんだ5人をそれぞれイケイケ-モジモジ座標系に書いてみた図です。Aさんは、イケ普通。わりと遠慮なくガンガンやってくれるし、そこそこものもわかってるから祭り上げて頑張ってもらうタイプの人。いつもお世話になってる。BさんとCさんはエンジニアさん。私の周りでは典型的です。Dさんはつきあいやすい普通の人。たまに飯おごってくれたり、気を使って電話くれたりする優しいおっさん。それに、めんどくさいEさん。

あなたの周りにいる人も、こんな風に分析してみたら、付き合い方もうまくいくかもよ。

そもそも仕事しないで他人(ひと)をこんな風に類型化してとらえて喜んでる段階で、もうだめモジなひとな気がしなくはないんだけどね。オレが。

2013年9月19日木曜日

大人の器

天草栖朗という人がこの夏「遺作」というアルバムを出した。10曲納められたアルバムは「ひねもす」の電波みたいな音から始まるから最初は驚くが、天草栖朗を演じている山作戰の他のアルバムよりもはるかに聴きやすい。中でも「大人の器」という松本清張ばりのタイトルの歌が好きだ。

「なぜこんなに苦しいの」から始まって「世間にしかられて」「自分のズルさ」「責めさいなむ」「甘えたい」「満たせない」と心を切り裂く言葉が畳みかけてくる。恋の歌のストーリーで書かれているのに、「大人の器」から日常の期待された「大人」について連想させられて、だんだんつらくなる。恨み節のようにも聞こえる歌なのに、いやだからこそ聴きたくなる凄みを持っている。この曲を書いた人の生き様が、まっすぐに何の飾りもなく、とってつけたポジティブさや希望の飾り付けも排した形で、刃(やいば)を前にしたように語られる。その語りに深く心をえぐられるのだ。何度聞いても涙なくしては聞けない、だれにもかけなかっただろう曲。

ただ、決してネガティブな気持ちになるわけではない。何事も解決しないにせよ、涙を流すことは苦しみを洗い流す魔法である。そして自分自身に直面し、立ち向かうことでもあるのだと言い聞かせて前を向いている。

  • 天草栖朗作品集 『遺作』はメール便なら送料込み2,500円で購入できる。ぜひ聞いてほしい。http://www.yamasakusen.jp/mise/
    1.ひねもす/2.並木道/3.ふたりのいる朝/4.温度/5.ぼくもいない街/6.いなもと/7.ぼくもないている/ 8.だいっきらい/9.大人の器/10.ディナーショウ の10曲
  • 山作戰のウェブサイトはこちら http://www.yamasakusen.jp/
  • SoundCloudでの試聴もできる

2013年7月21日日曜日

投票に行こう!もうこん取り戻せ!

Photo by Tambako the Jaguar
CC BY-ND 2.0
今日は参議院選挙の投票日。テレビやネットでも今回の参議院選挙の争点が、いまや一刻の猶予もできない薄毛対策であることはみんな知っているよね。各党、候補者は薄毛対策について様々な政策を提示している。iPS細胞の活用を先取りした者まで現れていて話題を呼んでいるのも、知ってるよね。与党は、従来の薄毛対策とカツラの風対策に熱心だが、野党はこれに対して「桶屋がもうかるだけ」と鋭い批判で与党の牙城を切り崩そうと必死だ。また、湯党は議論がかみ合っていない、温泉で風呂に入って議論をたたかわせるべきだという批判を展開している。

前回別の毛はえ薬を試したけど効果がなかったどうしてくれるんだとか、そんなうまいこと毛が生えてくるなんてありえない非現実的だとか、そもそも毛が生えてくる政策はありえないし育毛政治には期待できないなど、薄毛対策に対する有権者の目は冷ややかである。しかしここで少し考えてみてほしい。一晩寝て朝になるとふっさふさになるような魔法はないのである。毛根を鍛え、栄養を与え時間をかけて毛は生えてくるものだ。毛はえ薬の「一振」が無駄になることはないのである。政治家は選挙でその禿ぶりを有権者から評価され、そしてそれを力に政策という名の「薬」を生み出しているのだ。その薬の効能をしっかり見極めなければ、毛は生えない。

ましてや、棄権するなどというのは、薄毛に対する責任の放棄である。10年後の頭皮と頭髪のあるべき姿を見据え今できる選択をすべきだ。しぜんに任せておいて、生えてくるなどあり得ない。若者ほどその危機感が薄いというのは憂うべきことである。

投票に行こう。頭髪を取り戻せ!

2013年7月14日日曜日

忘れられた憲法改正の視点

憲法を変えるとか、変えないとか、盛んに議論されている。私は自民党の原案には厳しく批判的だが、改正論議自体には賛成だし変えたほうがいいと思うところがないわけではない。しかし、その中で、全く議論の遡上に挙がらなくて不思議でしかたがない論点がある。

それは、憲法を変えて発生する社会的なコストだ。憲法が変わるのだから、民法や刑法といった基本的な法律も見直すことにならざるを得ない。また、憲法をめぐる様々な判例も参考にできなくなり、法曹界は大忙しである。憲法解釈にも多大な時間と社会コストがかかるだろう。

さらにいえば、それらの法規を根拠にした政令や自治体などの規定、民間の契約にも影響を与える。

いや大丈夫だ、現行の法律は一切変更しませんというのなら、改憲する意味が失われてしまうし、改憲されれば個々の条項の意図とは関係なく、憲法解釈をめぐる訴訟がおきるだろう。憲法違反と言われれば、法律や政令なども変えざるを得ない。

このように、国や自治体だけでなく、日本じゅうで改憲コストを負担することになるのだ。うがった見方なのだろうが、新しい公共事業の創出と見ることさえ可能だ。しかも、それに乗じて官僚が都合のいい法律改正を次々と繰り出してくるやもしれない。

今の日本で、こんなことにコストをかける意味があるのだろうか?この国はそんなことをやっていられるような状態なのか?コストに見合った改憲でなければ、たとえ良い内容であっても、賛成する気にはならない。そして、改憲論議がとても呑気に思えてならないのである。

2013年7月7日日曜日

アンケートという名の悪意

「インターネットで今話題になっているうめについてアンケートを実施しています。ぜひご協力ください」

「ポチリ」


「現在、うめがブレイクしないことが問題になっています。そのことについてどう考えますか?またその原因はどこにあると思いますか?

1.ブレイクしないことについてのあなたの考えはどれに近いですか?

ブレイクしなくても当然だ
だいたいそんなことはおれたちには関係ない
ブレイクっておいしいの?

2. ブレイクしない原因はどれだと思いますか?

ブサイクだから
下品だから
ダメ人間だから
お腹がでているから
加齢臭(ノネナール)が臭いから
生理的に無理

※このアンケートは、「週刊妄想」偏執部がおこなっています。

2013年6月12日水曜日

リア充

リア充(りあじゅう)とは、「リアルに目が充血している状態」の略称である。Red Eye(れっどあい)と呼ばれることも多い。

Red-eyed treefrog
[CC BY 2.0]

症状

視野が狭くなったり、現実が見えにくくなってしまうが、本人に病識がないこともあるため注意が必要である。症状に気付かずに放置すると、現実世界が全く見えなくなってしまう。また、100人に一人程度、虫がおいしそうに感じられて食べそうになる人がいる。

原因

ゲームを48時間寝ずにやってボスキャラを倒した際にその怪物が放った一撃で目をやられる、暗い場所でツイキャスを3時間以上視聴しながらiPhoneでコメントを書きまくる、プログラム開発が行き詰まって徹夜で仕事をする、といったことが原因として考えられている。2007年に新種のコンピュータウィルスによる遠隔充血操作が原因であるとの説を上田次郎教授(日本科学技術大学)が唱えているが、多くの研究者からは「あまり、どんとこないね」「なぜベストを尽くさなかったのかね?」と冷ややかな目で見られている。

治療

最も効果を発揮するのは、デジタルカメラに搭載された赤目防止フラッシュを3メートルの距離から一日3回照射することであるといわれている。しかしこの方法はリアルには劇的な効果がない。そのため、横浜の医師を中心にブルーライト(波長380~495ナノメートル)を使用する動きが2010年から始まっており、「街の明かりがとてもきれいに見えるようになったわね」などというリア充患者の声も多く、効果が期待されている。一方、横須賀方面の医師からはブルーライトが人の体内時計(サーカーディアンリズム)を狂わせるとして反対する声も上がっている。

リア充の使用例

  • 「俺マジ今日リア充だわやべー」などと目の充血を強調して、徹夜で仕事したふりをする。
  • 「あれ?リア充だね、ちゃんと休んだほうがいいよ」などと女子に声をかけて優しさをアピールしつつ、赤目防止フラッシュを焚く。

  1. リア充である人物の典型的な例は、群馬県出身のリア・ディゾンの夫であるリア充(りあ・みつる)で、氏は常に充血しているらしい。
  2. 本当に充血している人はぶどう膜炎急性緑内障など眼内のこわい病気の場合があるので、速やかに美人のいる眼科にいくとよい。
  3. なお、病院でここに書かれたことをまじめに美人医師・看護師に訴えるとリア充でなくなることは言うまでもない。

(この記事は妄想です)

Red-eyed treefrog
http://www.flickr.com/photos/dejeuxx/6631808663/in/photostream/
Creative Commons Attribution 2.0 Generic
(CC BY 2.0)

2013年5月21日火曜日

YouTube素人製品レビューの功罪

Photo by Carsten Schertzer
[CC BY 2.0]
Googleはある意味で素人参加番組のCM配信会社です。本体である検索やコンテンツといった「番組」にCMを出す仲介ビジネス。ユーザ行動を分析して利用できるから、なかなかよい結果を出しているわけです。それから、Google Adsenceは、ブログにCMを出すことを可能にして、ブロガーやWebサイトのオーナーにCM収入の可能性を広げました。基本のところは、テレビと同じビジネス構造です。

YouTubeでも動画のビュー数が増えると広告収入が入るということで、多くの人がおこずかい稼ぎに余念がありません。少額ですが、自動販売機の下を棒でガサガサして100円拾うのよりもましですよ、ええ。私だって、自販機を専用小銭掻きだし棒「さぐるくん」でゴソゴソするのは恥ずかしいですし。あたくし、アフィリエイトはやってはおりますけれども、正直なところまじめに何かの原稿書いたほうがお金になります。

でも最近、YouTubeのレビュー系動画が少し気になるのです。素人レビュアーみたいな人たちがでてきて、なかには子供もいるんですけれど、製品レビューのまねごとみたいなことをやってどんどん動画をアップしているのです。

それ自体を悪いとは思いません。そういう時代ですから。

でも、やっぱり製品レビューってのはユーザ視点で使いにくいところはちゃんと指摘してあげるとか、向いてない人が買わないように注意しておくとか、使いこなし術とかあるわけです。でも、そんなの一切なくただただ製品を紹介していく。そんなのが量産されている感じがするのですよ。

素人でもメディアを手にすることができるようになって、情報を発信するリテラシーみたいなことが今試されている気がするんですよね。どうも、広告会社に踊らされすぎている気がするのはテレビもネットも同じなのではないかと、老婆心がムクムクするのです。

まあ、ジェラシーですけどね。バシンバシン。

2013年5月16日木曜日

かまってちゃんとかまったげちゃん

ahhhhhhhhhhh Photo by Kitenutuk
(CC BY 2.0)

ある遠い国に、かまってちゃんかまったげちゃんがいました。

かまってちゃんは今日も「ひとりコーヒーgkgk」「あー熱出てきた仕事休みたい」とひとりつぶやいています。でもかまってちゃんメンドクサイ人なので、誰も声をかけてくれません。今にも泣きだしそうです。


2013年5月9日木曜日

ボランティア社会妄論

仕事はすべて無料
快く引き受けます。

私はプログラマーですが、契約書を交わして、お客様のご要望に合わせて何度も仕様変更し、そのたびに理不尽に怒られながら修正作業とデバッグを繰り返し、そして請求書を出す段階で金額でもめる。

そんな毎日はもう御免です。

これからは、すべての仕事が無料です。ボランティアです。ただ、私の時間は限られていますので、発注が多くなると納期は確約できません。また、修正作業もすべて無料ですが、作業予定は仕事キュ-の末尾に追加されるFIFO(先入れ先だし)形式です。なお、後述する理由により、国・自治体様の仕事を優先的に処理させていただきます。さらに、私が居住している自治体様は常に最優先とします。作業に移動が伴う場合は、交通費を別途いただきます。

2013年5月3日金曜日

いじめの構造と不適切発言

個人的なこと書きます。

昨日は仕事もはかどらず、なんだかとても疲れていて、タイムラインでもギザギザしたことばかり書いていた。

そんな矢先、ある人に向かってトゲのあることを書いて怒らせた。阿吽の呼吸の「いじり」のつもりで「阿」と書いたつもりだったけど、相手にとってはそうではなかった。不快にさせてしまったようで、申し訳なくDMで謝った。こころから許してくれているかどうかは分からないけれど、こればっかりはしょうがない。こちらに非があるのだから。

その後、少し冷静になるとこの構造は学校のいじめに似ているなと思いハッとした。毒を吐いてもネタだし「いじり」なんだぜと開き直れば、それはいじめじゃないというよくある構造。今回の出来事と同じである。いじめる側の論理と、今回心の中で感じた感情は同じなのではないのか?自分であれこれ発言してきたいじめ問題と同じ構造に自分がはまっていることに気がついた。

そのあと別の人から「謝るくらいならやんなきゃいいのに」と言われた。全くの正論でぐうの音も出なかった。

こちらもある事件を連想させた。それは猪瀬都知事のニューヨークタイムズの不適切発言である。最初、言い訳したうえに、最後は撤回謝罪するというストーリーだった。心の中で「謝るくらいなら言わなきゃいいのに」と思っていた矢先だったので、この「謝るくらいならやんなきゃいいのに」はグサリときた。阿吽の呼吸のいじりという「真意」が伝わらなかったというような気持ちが少しあったのも本当だからだ。

このお調子者で悪乗りが過ぎる性格はたぶん変えられないだろうし、SNSだけでなく、リアルな場所でもきっと似たようなことをやって誰かを不快にさせているのだろうなと思うと、切ない気持だ。でも、性懲りもなくまたやってしまうのだろう。せめて、ちゃんと謝るという最低線だけは守らなきゃいけない。

ごめんなさい。

2013年4月28日日曜日

わたしは塔婆の陰にはいません

Sotoba.jpg [CC BY-SA 3.0]
もう7年くらいになるでしょうか?「千の風になって」という曲が流行りましたね。私の母親もこの曲が好きで、葬儀で流したくらいです。これには、米国の「Do not stand at my grave and weep」という原詩が存在するそうで、日本語の歌もほとんどそのまま翻訳したような中身になっています。

2013年4月27日土曜日

良い文章を書くコツ

文章力を身につける方法はググれば沢山でてくる。たとえば、「仕事と技術・文章力」には、「魅力的な文章を書く30の方法」「文章がうまくなる30の方法」があって、どれも首肯するばかりだ。合わせて60個。こんなに多くの事を頭に入れておくのはムリだよね。そこで、文章力があまり無いことで有名なわたくしが、その極意をなぜか上から目線で3つに絞ってさしあげましょう。

2013年4月23日火曜日

ソーシャルネットの自己開示と返報性

Photo By lumaxart
コミュニケーションの場で、相手が知らない、特に聞かれていない「私」についての情報を積極的に開示するという行為が「自己開示」である。実はバツイチであるとか、巨乳好きだとか聞いてもいないことをわざわざ開示するのは、コミュニケーションを求めている証拠なのだ。相手が本当は開示したいと願っている事を聞いてあげたり、共感してあげると、一気に打ち解けて相手が饒舌に自己開示を始めたりする。

2013年4月21日日曜日

電子書籍使いたいと思わない?

時事通信が電子書籍端末の利用に関する調査を3月にやったということで、新聞やネットで記事になっている。電子書籍利用者は7%で、「使いたいと思わない」は69.8%だったそうだ。利用者は2011年の調査(3.3%)から倍増しているのだから流行っているといえば言えなくもないが、まだ一般的にはなっていない。イノベーター理論でいえば、流行に敏感なアーリーアダプター層の13.5%を越えていないから、まだ電子書籍はマイノリティなのだろう。

2013年4月8日月曜日

オレの女にならねぇか

Photo by jl.cernadas
Photo by jl.cernadas
Creative Commons Attribution 2.0 Generic
「いっそのことオレの女になっちゃえよ」とツイッターで言ったら、「うんなる!」という返事がきやがった。お互い冗談だってぇことは百も承知の阿吽の呼吸てやつだ。「ツイッターでね」とも付け加えてあったんだから、どうにもお恥ずかしいかぎり。

ふつうなら、こんなこと言えば最低男としてブロックされてもしかたがないひどい言い草だ。しかしこれをやってしまうのだから、言わせる女のほうに非がある。そうにきまってる。

2013年4月1日月曜日

人が理性的で論理的であるとすることの危うさ

License: Creative Commons AttributionShare Alike.
Some rights reserved by Theis Kofoed Hjorth
BLOGOSがわたしの最近のお気に入りで、いろいろ極端な人たちの言説にふれることができ、とても興味深く読んでいる。Google Reader が終わってしまうので、とあるRSSリーダーを使い始めた。RSSという技術自体が終わるのではないか?などという人もいるが、そんなことはない。RSSほど見えにくいところで今も大活躍している仕様はないからだ。

2013年3月17日日曜日

国会議員の歳費を半分にしろ!

給与法改正案というのが閣議決定されて国家公務員、高齢層の昇給停止の方向が決まったらしい。総務省が決めたことだから、地方議会でも同様の動きは出てくるだろう。生活保護の支給額を物価スライドして減らしたのだから、ある意味で当然のことなのかもしれない。ただ、国会議員は対象になっていない。

2013年3月15日金曜日

ホワイトデーと飴業界の陰謀

「ホワイトデー公式サイト」によると、日本のホワイトデーは1980年に始まった全国飴菓子工業協同組合が企画した飴の販促イベントで、バレンタインのお返しをする日だそうな。こじつけはいろいろあるけれども、バレンタインだってさほど変わらないのだから、当然こちらのほうも香典返しのような感じで、いただいたチョコの金額を少し上回る感じでお返しするのが日本的な付け届け、四季のご挨拶の流儀である。

2013年3月14日木曜日

TPPってなんだろね?

政府はTPP参加に前のめりなんだそうですな。爺もすこしはこういうことを知らなくてはならんと思って新聞なぞよんでおりますが、根っからの工学屋。なかなかどうしてよく分からんのです。天の邪鬼な性分なので、よく分からんものには賛成しないというのがいつものスタンスなわけですが、すこし考えをまとめたいなとは思うのです。

2013年3月11日月曜日

PC遠隔操作事件のゆくえ

2013年3月3日、東京地検は容疑者の片山祐輔氏を処分保留でいったん釈放し、別の容疑で警察が再逮捕した。片山氏の弁護を担当する佐藤博史弁護士はメディアに頻繁に登場し、片山氏の無実を主張している。

2013年3月5日火曜日

インフレ社会の意味

ケインズさん
John Maynard Keynes
ターゲット2%でインフレを目指すというのが、アベノミクスの大目標だそうですね。「大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資」という「3本の矢」の政策だとか。財政政策については、この年度末の巨額の補正予算がまさにそれでした。金融政策については日銀が2%という数字を正式に決めたことも大きなことですね。

このアベノミクスに対する批判のひとつに「インフレになっても給与が上がらなければ消費は冷え込むし、結果としてこの政策は失敗する」というのがありますが、つい先ほどセブン&アイが組合の要求満額回答でベースアップを妥協したそうで、アベさんもすこしほっとしているところでしょう。

高校の政治経済を履修しただけレベルの門外漢の私がこんなことを書くのは恥ずかしいことですが、この経済政策について素人考えをまとめてみたいとおもいます。皆様の鋭い突っ込みをお願いしたいところです。

インフレをモノの値段で見る

インフレというのは、モノの値段が上がることですよね。100円だったものが2%なら102円になる。10年間2%が続けば1.02の10乗ですから122円になるわけです。労働者・消費者の立場から見ればこれでは生きていけない人が出てくるわけで、給与も10年で少なくとも20%上げてもらわなければ、生活は厳しくなるばかりです。そこで、先に述べた批判が出てくるということになる。

2013年3月1日金曜日

アフィリエイトと非営利クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

アフィリエイトと非営利・商用目的の関連性と、画像の引用についてというbonさん記事を読みました。記事では、「個人が趣味でやっている分には問題ないんじゃないか?でもグレーだよね」というのがおおざっぱな主張で、私もそう思っています。

アフィリエトには単に宣伝がランダムに出ているだけのものもあれば、製品の紹介記事を書いて積極的にクリックを誘導するようなものもあります。たとえランダムな広告表示でも、偶然、というかうまい関連付けでピッタリの宣伝が出ることもある。

また、個人が趣味でやっている体(てい)のブログなのに、年間数百万とか売り上げをあげているのもあるらしいし、そうでない毎月チャリン・チャリンと音立てているだけのものもあるわけですよ。そんなわけで、アフィリエイトが商用なのか非商用なのかはとても微妙な問題をはらんでいるんですねぇ。

なんで気になるかというと、クリエイティブ・コモンズの非商用ライセンス画像や音源をアフィリエイト広告を掲載しているブログで利用していいのかという問題があるからです。

気をつけなくてはいけないのは、ブログサービスを提供している会社がアフィリエイトを認めているかどうか、商用利用を認めているかどうかの判断はそれとは別であって、それは利用規約などに書いてある。でも、そのこととクリエイティブ・コモンズの「非営利」は異なる概念なんですね。おおざっぱには重なるわけですけれど。

だから、ブログサービスがアフィリエイトは商用サービスを利用しなくてもOKと言っているからといって、それをそのままクリエイティブ・コモンズに適用できると考えるのは短絡的な気がするんです。

[雑メモ]CCLの「非営利」について(仮) なんか読むと、津田さんやyomoyomoさんの話なども出てきて、アフィリエイトは非商用でいいでしょ、という流れはたしかにできている感じがします。

で最後は、ここにたどり着く。 Defining Noncommercial report published そしてここ。Creative Commons licenses and the non-commercial condition: Implications for the re-use of biodiversity information (2011, Gregor Hagedorn, et al.)

このあたりざっくり読んでみると、大儲けしてなくて、個人でやってるブログはCC-NCライセンスでも利用OKかなと読める。

ちょうど作っている新ライセンス4.0に関する記事、Creative Commons license 4.0 Draft 2Creative Commons License 4.0 NonCommercial などを私のつたない英語力で読んだ範囲では、うまい解決方法が見つかっていない気がします。

もちろん、新しいライセンス(4.0)が出たからと言って古いライセンスの運用が変わるわけではないですけど、古いライセンスで公開されているものを利用するときにも、すこし安心できるということはいえますから、期待したい。

※ もっとテクニカルで実用的な話は、うめつる開発室で書いてますので、よかったらどうぞ。ここは、ゴロクですので。









2013年2月25日月曜日

セマンティックからクラウドへ

先日あるブログを見ていたら、本分の1文字目だけサイズと色を変更するってのをやってました。これどうやってんのかなと思って CSS を見てみると、:first-letter という疑似クラス指定でした。こんなのまでCSSにできてんのかと思って調べたら、IE5.5あたりから実装されているらしい。知らなかった。

HTMLは5になってむしろシンプルになったという印象だけど、CSSの複雑怪奇さはすでに素人の手に負えるものではなくなっている。しかし、そんなことを気にしなければ、HTMLなんて10個か、せいぜい20個くらいの要素(一般にはタグといいますが、正確に要素と書きます)を知っていれば十分。html,head,body,h?,ol,ul,li,a,img,table,tr,th,td と、まぁそんなもんでしょう。つまりは一見複雑怪奇に見えるWebページもすごくシンプルに記述することができるわけ。複雑さの深い淵を避けて通れば何も怖いことはない。

2013年2月12日火曜日

遠隔操作ウィルス事件のもう一つの怖さ

遠隔操作ウィルスを使って他人のコンピュータに忍び込んで殺人や爆破予告をする。そんなことが本当に簡単にできるのだろうか?

たとえば「遠隔操作 ウィルス」や「遠隔操作 バックドア」といった検索語で Google 検索してみれば、そのようなソフトウェアがわりと簡単に手に入ることはわかる。しかしそれらを使おうとすれば、かなり怪しげな英語のサイトのドキュメントを読みこなして、その手口をしっかり学ばなければならない。しかも、それらのソフトがウィルス対策のターゲットになってしまえばそのままでは使えない。そうすると、また新しいウィルス技術を学んだり、仕組みを知って自分でオリジナルを作る必要がある。ウィルスソフトが作れるようになるには、それなりにプログラミングスキルが必要で、おそらくプログラマの100人に1人くらいのレベルだろう。

しかも、ネットワークの足跡を消すテクニックにも熟達しなければならない。こちらも、英語力とネットワーク知識をしっかり持っていなければ、とてもじゃないが手ごわい話である。私はたいしたプログラマじゃないけど、時間とお金が与えられても自分でできるとはとても思えない。

つまり、すぐに見つかってしまうようなウィルスは簡単にできるけれど、今回の事件で使われたウィルス対策ソフトで検知できないようなものはそう簡単ではないのである。しかも配布するときにもリスクがある。足がつかないようにするのは簡単ではない。容疑者として逮捕された人が真犯人かはまだ分からないが、生半可なスキルの持ち主ではないのは間違いないし、そんなスキルを正当に役立てられなかったことが残念で仕方がない。

ところで、この事件。無差別殺人や爆破を予告をしたとする「威力業務妨害罪」あたりが妥当な罪状であろう。殺人や爆破などの重大犯罪そのものではないし、脅迫罪の適用も難しいのではないだろうか。警察の捜査をかく乱し、誤認逮捕を生み、冤罪一歩手前までいって事件が大きくなったけれど、この手の犯罪予告は日常的に行われている。予告.in を見れば 2chやブログは殺人予告だらけである。ほとんどの事件は報道すらされない。捜査しても書き込みをした本人にたどり着けないことも多いだろうし、デキ心の遊び半分だったと反省し不起訴になる例もあるだろう。

今回特に注目されたのがネットワークの足跡を消すという方法が巧みに使われている点だ。原理的には世界中で自由に捜査できれば、犯人にたどり着くことは可能だが、そんなことはあり得ない。有効な捜査を展開するためには、あらかじめ世界各国の怪しいネットワークに「遠隔捜査ウィルス」を忍び込ませてスパイ活動をするか、さもなくば怪しいネットワークへの接続を国レベルで切断する中国のような方法をとるしかない。

現在も残っているかわからないが、かつて米国はあらゆる電波や通信網を盗聴し分析するエシュロン(Echelon)というシステムを運用していたといわれている。

ややスパイ映画じみてきたが、世界中の基幹ネットワークの多くが Cisco のルーターで構成されているとしたら、そこに秘密裏に何かのハードウェアを組み込んでおいて、こっそりと通信を傍受するといったことは原理的には可能だ。さすがにそんなことは行われていないと思いたいけれど。「テロとの戦い」で、インターネットの通信をいかに傍受するかというのがテーマであることは自明で、米国をはじめとする各国がどこまで手を汚しているかはうかがい知ることができない。

警視庁は、ネットワークを追いかける捜査の難しさに気がついて、真剣に考え始めているはずだ。Nシステムといわれるカメラ網が今回有効だった事を考えると、いかにネットワークに「手を突っ込む」かを検討しているだろう。たとえば、ネットカフェや Wi-Fiネットワーク網により詳細な情報の記録を要請したり、プロバイダにより突っ込んだ要求をしてくる可能性もある。そしてそれは秘密裏に計画され、一見してそれとはわからない法律の改正や解釈論だけでおこなわれるかもしれない。

犯人の「警察にひと泡吹かせてやりたい」という目的が、結果としてネットワーク監視社会の基礎を作るきっかけになるという、皮肉な結果をもたらす危険をはらんでいるということだ。ネット選挙がこの夏から解禁になると噂される今、この事件を通して考えなければならないもう一つの問題だと思っている。

  • 遠隔操作ウイルスによる連続威力業務妨害等事件(警視庁)
    http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/jiken/jikenbo/enkaku/enkaku.htm
  • 予告.in
    http://yokoku.in/index.php
  • エシュロン(Wikipedia)
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AD%E3%83%B3
  • 犯罪予告(Wikipedia)
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AF%E7%BD%AA%E4%BA%88%E5%91%8A

2013年2月11日月曜日

バレンタインとゴディバの抵抗

Photo By Darwin Bell
[CC BY 2.0]
貰えるとか、貰えないとか、義理じゃいやだとか、義理でもいいからたくさんくれよとか、そんな葛藤と翻弄の日々も今は昔。世間のバレンタインを静観できる年齢になりました。

10代のころは当然もらって嬉しかったりしたわけですが、くださった方々との恋が成就することはほとんどなかったわけで、子供ながら単なる日本の贈り物文化の一部なのだと諦め半分に思っていたほどです。

30歳代半ば頃には、逆にチョコを女性に配るという日本のバレンタインに対する抵抗運動を展開したこともありましたが、一方的に相手に喜ばれるばかりで、私のほうが喜ぶような事は何一つなく、これも2年ほどで止めてしまいました。

ある調査によりますと、近頃のバレンタインは恋愛をどうにかするというよりも、年中行事的に贈り物をする、自分のために買うという感覚が強くなっているのだそうです。

お歳暮やお中元、土下座やハラキリのような日本の伝統文化の一部として、日本化され、消化されつつあるのでしょう。Cool Japan というやつです。

さて、この連休のある日の夕方。デパ地下でバンドエイド型の義理チョコ大袋を横目で見ながらお弁当を買っておりましたら、Godiva (ゴディバ)が目に入りました。

Godiva って高級かつ上品な大人の雰囲気と思っていたのですが、今は違うのですね。高級イメージはなくなったのかしらと思うほど派手なピンクの装飾でチョコもカラフル。時代が変わったのでしょうね。給与が上がる見込みもないし、消費税も上がりますし。

この Godiva。日本では「ゴディバ」と発音しますけれど、アメリカのある空港にある店では「ゴダイバ」と呼んでおりました。「ほう!なーるほど、本場ではそのように発音するのか」と知って、日本に帰ってきてモノシリ顔で吹聴しておりました。そしたら、ちゃんとした国際人の友人に「欧州ではゴディバが正解で、英語だと di は ダィって発音しちゃうのよね~」と教えられてしょんぼり。でも、そのおかげで Godiva に俄然興味がわいてきました。

Godiva のWebサイトを調べると、1926年にベルギーのブリュッセルで店を出したのが始まりだとか。ベルギーチョコというのはおいしいことで有名ですが、Godiva もその一つなんですね。名前は、11世紀のイギリス女性 Lady Godiva(ゴダイヴァ夫人)に由来するのだそうです。Wikipedia で調べたら、この女性はイングランドのある領主の夫人で、夫の領民に対する圧政に異議をとなえたところ、夫から裸で市中を行進したら聞き入れるとからかい半分で言われて、それをやってのけたという伝説のある人なのです。

Lady Godiva by John Collier
Lady Godiva by John Collier

チョコレート会社のゴディバは、その名の由来を大切にして、今も女性を支援する活動や世界の子供たちに食糧を届けるFEED プロジェクトを支援するといった、The Lady Godiva Programという活動にひと肌ぬいで社会貢献しているそうです。すばらしい会社ですね。

話は変わりますが、先日あるニュースで World Naked Bike Ride (WNBR)という活動を知りました。参加者ができる範囲で裸で自転車に乗ってデモみたいなことをやるという取り組みです。自動車と石油依存社会に反対するイベントなのですが、やはりイギリスを中心に取り組まれています。映像を見る限り、全裸の参加者もかなりいるという仰天のデモ。日本ではやられていないようですが、世界各地で取り組まれているとか。この映像は、2012年のロンドンの様子です。

 World Naked Bike Ride - London 2012 - Part 1

どうですか、この限りなく平和で爽快感あふれるイベント!しかも、メッセージを発信できるなんてすごい。アメリカやカナダなどの映像も YouTube で見つけることができます。警察も取り締まったりすることなく、平和的なイベントとして参加者も楽しんでいるようですよ。

WNBRのサイトにあるドキュメントを読みますと、ゴダイヴァ夫人の勇敢さに対する敬意が記されています。また、裸で抗議するというスタイルは、増税などへの抗議行動で行われることが多いようで、ゴダイヴァ夫人の逸話は欧州の人にはなじみのあるものなのでしょうね。残念ながら日本ではやろうとしても無理でしょう。でも、こんなやり方カッコイイよね。

そうそう、 このブログ読んだかもしれない男子にゴディバのチョコをプレゼントする時は、それなりの覚悟が必要かもしれないよね。よけいなお世話ですか?

参考

  • 働く男女のバレンタイン実態調査2013
    http://www.macromill.com/r_data/20130131valentine/index.html
  • Goviva(ベルギー)
    http://www.godiva.be/en/godiva-chocolatier-since-1926
  • 恋人たちの愛のほつれを直す、特製バンドエイド「CHOCO-AID」(Gizmodo)
    http://www.gizmodo.jp/2009/02/chocoaid.html
  • ゴダイヴァ夫人
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A1%E5%A4%AB%E4%BA%BA


2013年2月4日月曜日

山を作る人



くまもとのジイちゃんが
「山ば作られるカミサマはおられっとよ」
 と、夏休みに川で遊んでいるときに、急にボクに言った。

はじめはなんのことかぜんぜんわからなかった。


ジイちゃんは、むこう岸からことばをほうり投げるようにして、せつめいした。
「けんすけ、すなばで山ば作ったことあるとよ?いっしょけんめい、つんでも、つんでも、次の朝に見てみんしゃい。山ば、くずれとー。じゃけん、山作りのカミサマがワシらの見えんとこで、ぎゅっし、ぎゅっし、と固めておられる。ワシはずいぶん小さいときに、一度だけその音を聞いた」
けんすけが川から上がると、せみの声が遠くなって日がかたむき、山のかげがおおいかぶさってくるような気がした。

こわくなって、急いでジイちゃんの手をつかんで、

「早くかえろ」

と言った。夕ごはんを食べたら、そのことはもう忘れていた。

その夜、ろうそくがゆらゆらしている部屋で、やさしい声なのにこわい顔をした変な人が、ぼくにはわからないことをつぶやいていを見た

山を作るのはカミサマじゃなくて、このオニみたいな人じゃないかと思った。でも、ぎゅっし、ぎゅっしという音は聞こえなかった。

この人は山作戰という名前で、木曜10時にここに行くと会えるらしいとあとで知った。


山の写真