2014年1月24日金曜日

本音と建前

胸に手を当ててみれば、自分のような粗雑な人間でも、本音と建前を使い分けているということに少しの鼓動とともに気づかされる。最近仕事で会うのは大企業の人が多くて、建前を大事にする人たちだ。建前がスーツを着て、建前がしゃべっているのではと思うほどだ。裸で生きていれば楽なのだけど、そうできなくなった人間は服を着て、アクセサリーやらコロンの匂いをまき散らかしたりして裸を隠す。スーツで主張する。それは仕方のないことだと思うのだけれど、匂いがきつすぎてときどき嫌になってしまう。裸がいいのに。

もちろん、こっちにだって小さな建前はある。建前を守ろうとして、余計な仕事をしょい込み、深夜まで仕事をする。ばかげたことだと思うけれど、それでお金を貰うのだからいたしかたない。しょせん世界は金で動いているのだ。おれだって、金で動いている。

しかし、世界にはそんな建前があまり大きくない人種もいるらしいというのが、NHK BS の海外番組などを見ていて感じることだ。日本人には建前が多すぎるのではないか。本音でやり取りすれば、様々なムダはなくせるのではないか。お金は少なくても、幸せに生きることは可能ではないかと思える。

建前にさんざんやっつけられた後なので、少しづつ建前の服を脱ぎ去って、あるがままの自分として生きていく道を探してみたいと思うようになった。これから、だんだんと暖かい季節になってくるしね。